水色とハルジオン

それは過去の愛の破片

散文的に振り返りながらお祝いする宮澤佐江ちゃん30歳のお誕生日

2020年8月13日、推しの年齢の10の位がひとつ増えました。おめでとうございます。

10年に1度しかない出来事を目撃しているんだなと感慨深くなりながら20代の宮澤佐江ちゃんに思いを馳せているところです。

 

20代の宮澤佐江ちゃんを一言で言い表すのは自分の思い出とも相まって難しいのですが、それでもポンと1つのワードで言うなら“決断”でしょうか。決断の10年、決断の20代。

 

有名なのは上海・SNH48への移籍だと思います。

他人に趣味を打ち明ける時「宮澤佐江ちゃんのファンです」と言うと「なんかどっか海外に行ってたよね?」と十中八九返ってくる。知らないと言われるより反応があった方が嬉しいのでファン以外の人にも名前が知られるきっかけとなったこの決断の役割は大きいなと今になって思うのですが、一報を聞いた時の心境はただただショックで事態を飲み込むのに時間がかかりました。

当時佐江ちゃんはAKB48の選抜常連メンバーとして活躍していましたが、偉大なるセンター前田敦子の卒業に伴う世代交代の大波に飲まれかかっていました。

選抜から外れたりMVにほとんど映らなかったり。

ただ、忘れてはいけないのがAKB48は夢への通過点であること。みんないつかアイドルを卒業して次のステップに進む。

佐江ちゃんは卒業後の目標に女優を掲げていたので、ここで世代交代の波に飲まれて立ち位置が後ろになるよりも全く新しいグループの設立に関わる方が後々の芸能活動にとっていい経験になるだろうと考えを落とし込みました。

幸いにも当時の私は既に「佐江ちゃんがアイドルを卒業した後も応援を続けたい」という気持ちがあったのでなんとか受け入れることができたように思います。

 

しかし、SNH48は茨の道でした。

日中関係の悪化で就労ビザが降りない。上海に行くことはできてもメンバーとしてステージに立つことができませんでした。彼女の持ち味であるステージパフォーマンスを披露する機会がない。

(立てなくても現地メンバーにダンスを教えながら仲を深めていましたが)

 

そんな状況が半年ほど続いた2013年春、コンサートの人事異動発表にて古巣であるAKB48チームKとの兼任が言い渡されます。

ファンとしては一安心でしたが発表を聞いた佐江ちゃんの明らかに複雑そうな表情が記憶から抜け落ちないまま迎えた選抜総選挙、10位という輝かしい順位で名前を呼ばれた佐江ちゃんは壇上スピーチでSNH48 1本でいきたいと思います」と高らかに宣言します。

カッコよすぎる

このSNH移籍→チームK兼任→総選挙で兼任を断る流れが好きで好きでたまらないんです。

自分よりも周りの人間を優先しがちな佐江ちゃんが意地を張ってでも自らの処遇に物申した。ショックなんか受けてる場合じゃない。これからどうなるかわからないけどどこまでも佐江ちゃんを応援し続けたいという自分の中の気持ちに気づいた時、ようやく彼女の決断を心から受け入れられたように思います。

 

退路を断ってまで自分の意思を貫き通す姿勢に惚れ惚れしたのはファンだけではありません。

総選挙での発言をきっかけに岸谷五朗さん、寺脇康文さんが主宰する演劇ユニット、地球ゴージャスプロデュース公演Vol.13「クザリアーナの翼」への出演が決まります。この作品を経てから舞台演劇に関わる機会も増えました。

発言ひとつで本来の目標である女優の道にまで新たな経験を手繰り寄せるの、カッコよすぎる。

 

SNH48にもようやく動きがありました。2013年10月、「SNH48 1本でいきたいと思います」と発言してから4ヵ月、ついにSHN48のメンバーとして劇場公演に出演し、正式に上海の土地に足跡を残しました。

アンコールでヘビーローテーションのセンターに堂々と立つ23歳の佐江ちゃんの映像はニュースでも多く取り上げられました。めでたしめでたし。

 

なんて呑気に思って迎えた2014年、前述の舞台本番を迎えていた頃。

その裏ではAKB48グループの大組閣が行われていました。そこで発表されたSKE48との兼任。

前回の兼任はNOを突きつけた佐江ちゃん今回はどうするのか?と一瞬不安がよぎりましたが、SNH48として上海のステージに立てたことで兼任と向き合えるようになったと言う旨のブログを読んで心に余裕が生まれたなと嬉しくなりました。

険しい表情で茨の道を突き進む姿はそれそれはもうカッコいいけれど、やはり推しには笑っていて欲しいものです。

ん?コラ!そこ!SKE48も結構茨の道だったとか言わない!

 

後輩から気軽に「さえちゃん」「さえさん」と呼ばれ、お姉さんの顔をする頼もしい時もあればおちょくられて後輩相手に本気でムキーッとなる時も、一緒になってふざける時もありました。

日本でまたアイドルしてる姿を見れるなんて。ボーナスステージみたいな2年間でした。

SKE48時代の佐江ちゃんでようやくアイドル現場デビューを果たしたので思い入れがたくさんです。初めての握手会で感激のあまり泣き崩れるという愚行を犯すなど。

そういえば初めての劇場公演は佐江ちゃん25歳の生誕祭でした。卒業コンサートや卒業公演に入ってアイドルとして最後の姿をしっかりと見届けられたのも思い出深い。

 

卒業してからは女優として奮闘。バラエティもこなしていました。

特に2017年は「王家の紋章」再演、「ピーターパン」、「TOKYO TRIBE」、「朝陽の中で微笑んで」、4本もの舞台作品に出演。宮澤佐江史上最も作品に関わったのが多い年でした。

年末にはあの「おっさんずラブ」の単発版ドラマにも出演し、このまま映像と舞台で女優さんとして活躍し続けるのかなと思って迎えた2018年5月、まさかの芸能活動休止発表。

当時佐江ちゃんが出演していた舞台「ZEROTOPIA」開演前にバースデーメッセージカードを書きながら「活動休止したまま2度と帰ってこない未来も有り得るんだよな」と情緒不安定になり、誕生日をお祝いできるのはこのメッセージカードで最後かもしれないと勝手に途方に暮れたのは今となっては笑い話です。笑い話になって本当に良かった。

 

お休みが3年なのか5年なのか10年なのか分からないけど待ち続ける!と意気込んでましたが実際は1年でした。

いやでも1年って凄いんですよ。佐江ちゃん自身も1年で帰ってこれるなんて思ってなかったと言ってましたし。

復帰作の「ピーターパン(2019)」、ちょうど1年前の2019年8月13日名古屋公演の最後、舞台上で祝われ「私事ではありますが本日29歳になりました」と謙虚にコメントする佐江ちゃんを見てまたお誕生日おめでとうと言える日常が戻ってきたんだなと感極まったのが懐かしい。

 

移籍、兼任、卒業、活動休止、復帰。振り返ってみてやはり決断が多くとても濃密な20代だったと思います。

 

そして2020年、30歳。

推しの記念すべき30歳の誕生日を祝うブログを書こうと思ったのに冒頭から20代の10年を振り返るしいつの間にかヲタクの自分語りになってるの、ウケる。

唐突ですが私には夢があります。芸能人・宮澤佐江の終わりを見届けることです。

こんなこと書いた1週間後にはもしかしたら興味が尽きたとか言って推すのを辞めてるかもしれないのに。絶対とは言えませんし永遠も誓えません。

「夢と言ったら叶わない気がするから目標です」という佐江ちゃんの金言に沿うなら目標と言うべきですが、自分の中であまりにも壮大な想いなのでまだ夢と言わせて下さい。

つまり何が言いたいのか、30歳は始まりに過ぎないということです。

これから40歳、50歳、60歳と10の位が増えていくのをずっとお祝いし続けられたら嬉しいな。あらゆる媒体で「30代楽しむ気満々です」と発言しているので30代はどんな10年になるのか非常にわくわくしています。

まずは始めの30代、その一歩である30歳が実りある1年になりますように。