水色とハルジオン

それは過去の愛の破片

【セルフインタビュー前編】宮澤佐江さんのファンになって10年が経った

2021年6月9日で俳優・宮澤佐江さんのファンになって10年が経ったきなこもちさん。ファンになるまでの経緯や10年間の振り返り、未来についてを自身の思い出と共に語っていただきました。

 

 

はじめに

ーー10年前、2011年6月9日といえば第3回AKB48選抜総選挙が行われた日です。宮澤さんは11位で見事選抜入りを果たしましたがこの日の振る舞いでファンになられたのでしょうか。

いえ。この日を境にファンになったというよりかはファンなんだと認めざるを得なかった日、と言ったほうが正しいですね。

ーー"認めざるを得ない"。否定的なニュアンスですね。

はい。実は2010年の終わり頃から半年ほど佐江ちゃんのアンチだった時期があったので(笑)アンチ転じてファンに、終いにはヲタクにまで転がり落ちたから面白いですよね。

ーー成り行きが気になります。それではAKB48及び宮澤佐江さんのファンになった経緯を教えてください。

佐江ちゃん以前にどうしても避けて通れないのがAKB48との出会いです。遡れば2009年になります。

 

2009年

元々Perfumeが好きで。今もですけど。NHKで放送されてたMUSIC JAPANって音楽番組に4月からPerfumeがレギュラー出演するから3人のトーク目当てに見ていました。

この番組に『涙サプライズ』で出演したAKB48が私の中で一番古いAKB48の記憶です。人数多すぎない?って思ったのと背が高くてショートカットの目力強い子を見てああこんなかっこいい子もいるんだと思ったことは覚えています。

ただ、その子の名前が宮澤佐江とはまだ知らなくて。とりあえずAKB48というグループの存在を知ったのがこの日でした。

当時は嵐がデビュー10年のタイミングでガツンと売れてる時代で私も周りもみな嵐の番組を見ていましたね。ただ、テレビを見ているだけの奴はにわかだという風潮があって。雑誌を読んでる人が偉いみたいな雰囲気だったので御多分に洩れず私も毎月何かしらのアイドル誌とファッション雑誌を買ってました。この時にはもうAKB48が紙面でぽつぽつ特集されていたので少しずつメンバーを覚えるにはいい機会でした。

 

2010年

ーーまずは前田敦子推しとしてスタートしました。

はい。最初の推しはなんのひねりもないですけど王道ストレートどシンプルに前田敦子ちゃんでした。

春先にうちの地方テレビ局であっちゃん主演ドラマ『栞と紙魚子の怪奇事件簿』の再放送があったんです。なんだかとても不思議なドラマだった。同時期にMステでAKB48が『ポニーテールとシュシュ』を歌っていたんですけどドラマで地味めの学生を演じてたあっちゃんがグループでは真ん中に君臨しているギャップがすごくて、AKB48とあっちゃんにどんどんに惹かれましたね。

衝撃だったのが『Begginer』。AKB48、こんなかっこいい曲もできるんだと感心したのと曲自体が単純に好みだった。

これくらいの時期に佐江ちゃんが髪型をショートカットにしたんですよ。で、「涙サプライズでかっこいいと思ったあの子は宮澤佐江ちゃんだったのか!」とようやく一致しました。ポニシュは選抜皆ポニーテールで見分けがつかなかったしヘビロテの時佐江ちゃんはセミロングくらいの長さだったので気づかなかった。

ーー宮澤さんに対して好意的な感情を持ったと。

当時私はバスケ部に所属していたので、雑誌の情報で佐江ちゃんもバスケ部だったと知って勝手に親近感がわきました。「うちの部にもこんな先輩がいたらいいのになあ」という願望を抱きましたね。まあこの後すぐアンチに転向するんですが。

ーーポニシュ、ヘビロテ、Begginerと来て次のシングルはじゃんけん大会の結果が反映された『チャンスの順番』です。

最後列で踊るあっちゃんが珍しいですよね。『チャンスの順番』であっちゃんはサビ前♪だけど立ち止まっていてもしょうがないで必ず映るんですよ。Mステはそうだった。だから他の音楽番組でもそうだろうと意気込んでテレビ前でウッキウキで待機して。あっちゃんが映るぞ、さあ来るぞと。

なのに、そこに映っていたのは宮澤佐江ちゃんだった。

もう意味が分からなかった。佐江ちゃんはじゃんけんに負けたのになんで歌番組にいるの?私はあっちゃんが見たかったのにってめちゃくちゃショックを受けて。

うちの地域で放送された歌番組ではМステ以外全てあっちゃんのポジションに佐江ちゃんが入っていました。おまけにどれも佐江ちゃんがいちばんキラキラして見えたもんだから腹が立って仕方がなかった。

まあ当時あっちゃんはドラマ『Q10』の撮影で忙しくて歌番組収録には参加できなかったから代打で佐江ちゃんがあっちゃんのポジションに入ったって話なんですけど。選抜メンバーが仕事で出演できない時は他のメンバーが穴を埋めるアンダー制度を全く知らなかった。とにかくこの日を境に佐江ちゃんを目で追いかけ回して親の仇の如く粗を探す日々が始まりました。

ーー具体的にはどういった粗を探していましたか?

ほとんどただの当てつけですよ。「ダンスがキレキレでムカつく」とか「今のとびきりの笑顔なんなんだよ目立つんだよ」とか。とにかくテレビに映る佐江ちゃんの何もかもが気に入らなかったんですよね。

 

2011年

ーー正月からアンチ活動に勤しんでいましたね。

特に印象に残ってるのが『あけましてAKB』というお正月特番。チームKが勝負に勝ったから景品でカルビが出たんです。佐江ちゃんがお肉を口に入れた途端司会者に画面が切り替わった。「よし!画面からいなくなった!」って喜んだんですけど、次の瞬間佐江ちゃんの元気な「美味しいー!!」って声だけが聞こえてきて。なんだこいつ?画面に映らなくても存在感発揮できるなんて本当にウザくてしぶといやつ!って(笑)。元旦からテレビに張り付いてぐぬぬ…と眉をひそめていました。

ーーただ、粗が見つからないことも。

AKB48メンバーが総出演したドラマ『桜からの手紙』。この佐江ちゃんは悔しいけど、認めたくないけど自然な演技がすごく良かったです。「なーんだ、宮澤佐江、演技上手い方じゃん」って見直しました。でもアンチとして粗を探しきれなかったことに勝手に落ち込みました。

ーー5月には宮澤佐江さんが所属する派生ユニットDiVAのデビューもありました。

当時まだインターネットを使わして貰えなかったのと、『桜からの手紙』で佐江ちゃんの気に入らないところを見つけられなかったのが思いの他悔しくて何回も何回も録画を見返してたからDiVAの情報に全然気づけなかった。

ある日MUSIC FAIRを何の気なしに見ていたら紫のスーツに身を包んだ佐江ちゃんがいたんですよ。アレ?AKBの衣装と雰囲気が違う?って。そこから派生ユニットのことを知り始めました。

この辺りからですかね?ひょっとして自分は宮澤佐江ちゃんのファンなんじゃないかって思い始めたのは。苦手なもの、嫌いなものって一切遮断するタイプなのになぜか佐江ちゃんのことはどうしても目が離せなくて。でも相変わらず粗を探すぞ!という日もあったので自分の気持ちに上手く答えが出せなかった。

6月9日

ーーそんな中、第3回AKB48選抜総選挙を迎えました。

学校でも塾でも「1位はあっちゃんと優子どっちになると思う?」って誰もが話してたくらいとにかくこの2人の順位に注目が集まっていました。当時私は受験生だったので塾が終わって家に帰ってから『なるほどハイスクール』の録画を再生しました。AKB48がレギュラー出演していたこの番組の最後の方で総選挙の生中継があったんです。

で、早送りでバーッと再生を進めるでしょう。そしたらテロップで「11位 宮澤佐江(昨年9位)」って表示されて。私、その文字を見てあまりのショックに固まって動けなくなってしまったんです。CDも買ってないし投票すらしてないのに。自分でも自分に何が起こったのかよく分からなかった。居ても立っても居られなくてニュース番組にチャンネルを回したら選抜入りしたメンバーのスピーチが流れていたので、その流れで佐江ちゃんのスピーチも見ました。

佐江ちゃん、感極まりながらもハキハキと感謝の気持ちを述べていた。順位が2つ落ちたのにどうしてこんなに明るく振舞えるんだろうと考えているうちに「ああそうか、私は佐江ちゃんが好きだったんだな。今まで気に食わないと思っていたのは好きの裏返しだったのか。」ってようやく自覚しました。自分のこと、自分がいちばんよく分かっていなかった。

だから、私にとって第3回選抜総選挙というのは前田敦子が1位に返り咲いた総選挙でも、柏木由紀が神セブンを崩した総選挙でもなく宮澤佐江が順位を2つ落とした総選挙なんです。

ーー半年間気持ちに気づかなかった分反動がすごかったようですが。

180°考えが変わりました。「手足が長くてダンスが上手でキレがあるから歌番組で探しやすい」「とびきりの笑顔に救われる」「バラエティーで画面に映ってなくてもガヤの声だけで佐江ちゃんだって分かるからいいよね」って。気に食わないと思っていた部分が好きに塗り変わっちゃった。

強く覚えているのが、夏休みに開催されるオープンハイスクールの帰りにCDショップへ寄ってDiVAの2ndシングル『Cry』とAKBの『フライングゲット』を買った日です。自分のお小遣いで初めてCDを買いました。それで、悟りを開きました。宮澤佐江ちゃんがアイドルを卒業してもずっとずっと先の未来まで応援しようって心に決めましたね。

もう8月なのに。第1志望の学校はまだ決まってないしそもそも現場にも行ったことないのになぜか長い年月かけて佐江ちゃんを応援する気概だけは充分に満ち溢れていました。

ーーここから先の思い出は常に宮澤佐江さんと共にありますね。

秋にはDiVAのラジオ番組『ViVA DiVA!』が開始。これが受験勉強のお供になりました。3rdシングル『Lost the way』の音源が公開された回は何度も何度も聞き返して勇気を貰いました。もがきながらも前を向く曲なので受験生だった当時の自分にドンピシャで精神的に大きく助かりましたね。

ーー推し元年となった2011年を色濃く思い出したところで前編は締めたいと思います。後編は2012年から2021年までを簡潔に振り返りましょう。

はい。ありがとうございました。後編もよろしくお願いします。

 

おわりに

6月9日がファンになった日ですと大っぴらに言ったことはなかったし、そもそもこの日です!と決めてしまうとそれまでの過程を忘れてしまいそうで言語化を避けていたんですが、2021年に入ってすぐTwitter#あなたのAKBどこからというハッシュタグが流行ったので考える機会ができました。自問自答をしていくうちに自分は段階的に好きになっていったんだなと知ることができてスッキリしています。よーしこの流れで10年分振り返っていきましょう。